2015-11-20

「許せない」という気持ち、ありますか?でも、許す必要なんてないのかも。


許せない、
と思ったことが、ありますか?

過去に傷つけられた心の痛みや憤りで、
まだそれらを許せていない事がありますか?

許そうって思っても、
許せない自分がいたりしますか?



そういった時、
心理学系、カウンセリング系のお話の中で
まずは自分を許そう。
許せない自分を許して、
丸ごと愛そう
と言う事を言われます。


うんうん、本当にそうだと思います。


そして私も
、過去の痛みに関する事柄や人を、
許したいのに許しきれない自分がいたり
(表面的には許していても、まだ傷が痛むということは許しきっていないという事)

逆に自分が犯してしまった過去の過ちを
許したいのに許せない自分がいたりして、

これまで、様々なヒーリング・セラピーの学びの中で
許しのワークも幾つもやってきていました。

そして、
段々とそれらが開放されたとも感じていました。


基本となる
自分を許すワークは、
深~い癒やしを得られるし、

あ~、癒された~。

自分のことも、他の人のことも、許せた~♡

と感じたりもしていたのですが・・・・・


ふと、

『許しって、なんだろう』

という思いがよぎったのです。



許しって、なに??

果たして、許す必要って、あるのかな??

と・・・。



換言すれば、それは

『許し』 を ”超えた”

感覚でした。



私たちに起こっていることは、
全て愛から来て、愛の中で起こっている。

痛みも悲しみも辛い体験も、
私たちに、気付きを与えてくれるために
起こってくれている。


もっといえば、
わたし達の中の、高い高い意識の部分が
自分自身でそれを起こさせ、自分自身にそれを与えている。


その裏側にある

愛に気がつかせるために・・・。


その裏側にある

光に気がつかせるために・・・。



光は、
闇がなければその存在にすら
気づく事ができないから。


可愛い可愛い自分のために、
自分の、全体としての成長のために、
自分自身がより高まってゆくために、

鬼になって、敢えてそのような経験をさせている高次の自分。

いえ、鬼というよりも、それが愛。


可愛い子には旅をさせろ。
という言葉も然り、

そこには愛があるのです。


そしてまたその経験は、
自分がそれを乗り越えられる範囲以上のものは
起こりません。

もしもエゴが
「私の許容範囲を超えている!無理!」
と感じたとしても、

それは、高い意識から見れば
超えられるから与えているのです。

もしかしたらそれは、
越えられるぎりぎりのところかもしれない。

でも、
小さな出来事、小さな体験たちよりも、
それは、ぐんと大きな気付きが得られる
大きなチャンスでもあるのです。

そして気づきを得られた時、
そこには
愛が存在していた事を感じられます。

いえ、愛しか存在していない。

究極的な
無条件の愛しか存在していないのです。


そう思うと、
全て愛からきているものを

「許す」

ということ自体がおかしく感じられたりする・・・。

そんな思いに駆られていたら、

これまで許そうとしても
なかなか許せなかった事柄や、

人を許すには、
まずは許せない自分を許さなきゃ、

私の過去の過ちを、自分自身を許さなきゃ、

な~んて思っていたことが、

ふと、
あれ???
それって、必要ないよ。って、

突然全部消え去ったのです。


全ての事は
愛から生まれている・・・・。

 それなら・・・・、

許すって言葉自体

必要ないよね?


だって、何を『許す』の?

愛を??

あっはっは。

愛を許すなんて、なんだかおかしい。

そこには、感謝しかないよ~。


って、自分の内側から、

感謝と愛の感覚が溢れ出て、
涙が止まりませんでした。


それはまるで、
小さなコップの中で
あっぷあっぷと
おぼれかけている小さなアリが、
よいしょっとそのコップの淵を見つけて
外に出てみたら

あらまあ
そのコップの、
小さいこと小さいこと。

外の世界の
大きなこと大きななこと・・・・。

そんな感覚でした。


『許す』という感覚を、

超えた。


『許す』という感覚を
超えた時、

そこには、
無条件の愛と、
感謝のみが存在していることに気が付いた。


そしてすべてのものが
キラキラと輝いて見えて、

すべてのものが
愛でできていると感じる感動で、

胸がいっぱいになった。


そんな感覚に身を任せていると、
私の辞書の中から
『許す』
という言葉が
消えたような気がしました。


無理して許さなくていい。

視点を変えてみる。

高い次元から
すべてを見渡してみる。


すると、
「許す」という概念さえも、

消え去ってゆくから・・・・。



とはいっても、はい、
私も所詮
エゴをしょった一人の人間。

常にそのような状態でいられる域には
まだまだ達しておりません。

でも、あの感覚。

『許す』という響きさえ
馬鹿げているというか、

可笑しく感じてしまう程の、
全てを包み込む
愛の感覚。

それを思い出し、
心に留め、
目の前の事を楽しんでゆけたら・・・・・

そんな風に思いながら
書いています☆



もしも何かを許せなくて
負のスパイラルにはまっている方がいたら、

ちょっとこんな考え方もあるかもよ、、

という事を
頭の片隅にでもおいておいてみて下さいね☆


ふと突然に、
あなたの辞書から

「許す」

という文字が消える瞬間が
やってくるかもしれません☆



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