2015-06-30

travel busy tray bag / 旅行で子供を退屈させない為のバッグ


After having goggled a lot on
 '' the busy bag for travel'',
 " how to keep children busy and happy on a trip  '' 
I've decided to order '' the travel tray kit '' and give it a try. 

One for my 6 and half years old son and one for 22months old daughter. 
Here they are ,I know l know, it's a bit too big for the little baby girl
 but  l think l'm happy with the design first . 

旅行中、
如何に子供達を退屈させずにハッピーにさせていられるか
沢山ググって良い物を発見しました。

6歳半の息子と、1歳10ヶ月の娘に一つずつ。
娘にはまだ大きいのは承知でね。
でも、デザイン的にも可愛いし☆


Above all, what great about this is ...

何より良いなと思ったのは...




 you can pull down the tray part to have enough space to play
 and you can also hang the bag 
at the back seat in the car or even in tbe airplane. 



トレイ部を引き出せるので、
遊ぶスペースがたっぷりある事、
そして、車の後ろ座席や飛行機のシートにぶら下げられる事も魅力。




Now her bag is all set. 


さて、娘の玩具を詰めてみました。




And his as well. 

そしてこちらは息子用。





For her,
 l also prepared DIY magnetic play board 
 drawing her favorite bear
 and printing out her favorite japanese educational characters called
 '' shimajiro''. 


娘には、
しまじろうを印刷したり、
お気に入りのクマを描いたりしてマグネットボードを用意。






Another thing which l bet she'd love and keeps herself busy with is this. 

Yes, a small pill box. 
 
もう一つ、
娘がきっと一人遊びをしてくれるかなと思って
用意してみたモノは、こちら。

はい、小さなお薬ケースです。




I put some animal stickers on one side. 

片面を開けると、動物のシール。



And on the other side as well.

反対側も同じく。




Besides,  these small parts down there are actually awesome.
 Each part will keep her busy opening and shutting,
 finding tiny different drawings. 

更に、この幾つもの小さな部分の蓋を開け閉めすると、
これまた色々な絵が出てくるようになっています。


Then, if  she takes out those tiny drawings, 
her another favorite characters will be shown up. 
She also likes counting numbers,
so l just put them  randomly from one to three. 
 
 
そして上記の絵を取り出すと、
下にはこれまた彼女の大好きな
しまじろうの妹、
はなちゃんが現れるようにしてみました!

数を数えるのが好きなので、
ランダムに一人、二人、三人のはなちゃん。


Bottom line is....
 l'm just hoping that my kids will be happy on our trip
 as we are flying from Singapore back to Germany
 and driving from Germany to France to vist Loire staying at the old castels,
 after visiting Paris antique markets. 
 
It's gonna be fun for us
 but long flight and drive are not quite children's favorite, right? 
Let's see how those things work
and if you know any other good ideas to keep small children busy,
 let me know:-)
 
 
そう、要はただ、
旅の中で子供達にもできるだけ ハッピーでいて欲しいだけ。
あさってに、
シンガポールからドイツへの一時期国に出発します。
 
そしてその後パリの骨董市を訪ね、
それからロアールへ足をのばして古城巡り&宿泊をして来ます。
 
※ロアールでは、
現ロンドン在住25年来の親友とも落ち合う予定でワクワク☆
 
 
 
けれども長いフライトと、車での数時間の移動は
子供にとっては特に楽しいものではないですものね。
 
苦肉の策な色々な工夫が
どれだけこうをなすのか、
 
それは蓋を開けてのお楽しみという事で。(*^_^*)
 
 
子供を退屈させないための、
こんなアイディアもあるよー
と、ご存じの方がいたら、
どうぞ教えてくださいね☆

 

2015-06-05

Earth TV ゲスト出演『本当に伝えたい事☆一瞥体験のその後に・・・』

 
先日、インターネットTVの『Earth TV』に
ゲスト出演させて頂きました。
 
 
 
Earth TV主催の地球ひろしさんが
 
どんな内容だったかはこちらのブログでは割愛させて頂きますので、
よろしければ上のリンクからご覧になってみて下さいね。
 
 
 
でも・・・・・、
 
改めて見てみると、
始終興奮していたせいか、
少し照れが合ったせいか、
 
伝えたかった事がクリアに言えていない~(泣)。
 
 
放送時間中の殆どは、私の体験談を語っていました。
 
勿論、体験談を語って下さいというお話を頂いていたので
それはそれでいいのですが、
 
 
実際、
私がどんな体験をしてきたかという事は、
正直さほど重要ではないと思うのです。
 
 
 
それよりも、
今回のTV内では
クリアにお伝えしきれなかったけれども、
 
むしろ体験よりも重要で、
私がいつも心で感じている事について
ここから書いてみたいと思います。
 
 
 
この、私達が存在している、
実は、存在していると思い込んでいる
『現実』と呼ばれている世界、
 
それは実は幻想であって、
究極の真実としては
 
『純粋意識』
 
と呼ばれる存在のみがある。
(他にも色々な呼ばれ方がありますが)
 
 
 
換言すれば、
『純粋意識』しかなくて、
 
それは『無』であり、『全体性、全て』である。
 
 
その感覚を、知っています。
 
 
そして、
その叡智が、
 
いつも私の中、
根本の部分に存在しています。
 
 
 
それがいわゆる
『悟り』を垣間見た、
一瞥体験と呼ばれるものであって、
 
おそらく私も含め、
多くの方々が探し求めてきたもの、
また、探し求めているものかもしれません。

 
 
何故求めるのか・・・、


 
それは、
 
そこが、私達の根源だから。
 
本当の意味での、『ホーム』だから。
 
 
 
そして一度でもそれを、
その状態を、
その存在を知ると、
 
 
言葉にならない至福感と、
完全なる満足感、
そして限りのない愛に満たされて、
 
同時にそこには時間も空間も感情も、
何もない『無』である
そのシンプルさに気が付きます。
 
 
 
さて、ここからが本題です。
 
それを体験した後、どうなるでしょうか。
 
 
 
そこには全てがあり、そして、無であった。
 
 
じゃあ、『現実』とよばれる幻想世界の中にいる自分、
いると思っている自分には、
意味はないのか。
 
 
そんな事を考えている自分も
実は存在しないのだから、
 
意味自体も何もなく、
ただ存在が、
ない。
 
 
ただ、あるのは
 
純粋意識だけ。
 
 
それをただ感じ尽すし、観察し尽くすと、
どんな状態でも
その純粋意識に戻る事が出来ます。
 
 
 
そして、
 
その状態を保ちながら、
 
愛と光の状態を保ちながら
 
この『現実』(幻想)の世界を、観察するように観る事が出来ます。
 
 
 
ただそこで、
 
沢山のジレンマがうまれてくることもあります。
 
沢山の混乱がうまれてくることもあります。
 
そして、
 
「それでは、なんのために自分は存在しているのか」
 
という問いもうまれます。
 
 
「その、『自分』は存在していない。」
 
というのが、究極の答え。
 
 
堂々巡りに聞こえるけれども、
それが究極の、真実を語る答え。
 
 
 
ではもう一度。
 
「なんのために自分は存在しているのか?」
 
 
もしもそこに、
上記外の答えがあるとしたならば、
 
 
『純粋意識』が、
 
幻想の中で、
空想の、
想像の中で
 
この『現実』と呼ばれる世界を創り出し、
 
その創造された世界の中で色々な体験をし、
 
『感情』を味わう経験をしようとしている。
 
 
 
だからこの世界は『あって』、
 
この世界の中に私たちが『いて』、
 
純粋意識の一部として、色々な事を体験している。
 

故に、私たちは皆、純粋意識に繋がっている。

 
そして、自分の大元を究極にもとめると、皆が同じ所へたどり着く。
 

同時に、それぞれが、純粋意識の一部として、
 
それぞれの体験をし、

感情を経験し、

それを感じ尽し、味わい尽くす為にここに存在している。


 
言葉で表現するとしたならば、
こんな風に表せるのではないかと思うのです。


 
 
こんな考えを踏まえた上で、
 
 
『一瞥体験をした。悟りを垣間見た。』

『全ては全体であり、無である事を知った』

 
その後に・・・・・

 
 
絶望的になったり
意味を求めて堂々巡りをする代わりに、

もしくは堂々巡りをした後に、


 
 
この、幻想現実の中に

『美』を、 『愛』を、 『光』を

見出すのはどうだろう?


と、思うのです。


 
この、私達が観ている、
見ていると思っている世界が

純粋意識が創り出したその存在の一部であるならば、

 
この世界の全てがそれこそ、
 
純粋意識そのものである
『愛』であって、『光』であるはずだから。

 
本当は、ここには『愛』と『光』しか、ないはずだから。


 
その反対の『憎しみ』や『闇』が存在するのは、
 
それらがある事によって
そのコントラストの『愛』と『光』があるという事を

認識しやすいから。
 
逆に言えば、
それがないと、認識できないかもしれないから。


 
私が純粋意識を体験する時に、
そこは『光』だけれども、
比べるものがないので
『光』自体を見る事ができないのと同じ感覚。
 
光を感じるような感覚、
全てが光で、
光に包まれているというか
光の一部である感覚はするけれど、
 
そこには闇はないので、比べられない。

 
だから『この世界』では、
 
光が容易に認識しやすいように

『闇』があるのかもしれない。
 


 
そして

この『現実世界』が幻想であるとするならば、

純粋意識の創り出した想像の世界であるとするならば、

 
そこに登場している私たちが、

遊び心を忘れたり、
 
その中で様々な美を見出す事を忘れてしまうのは、

なんて勿体ない事なんだろうと思う。


 
 
ここには、

美しい自然、 景色、 道端の小さな花、 葉っぱ、

美しい音楽、 美しい色彩、 デザイン、芸術、 美しい言葉、 詩、

子供の笑顔、 人の心・・・・・
 
本当に美しいものが溢れている。

 
 
夜の空を見上げてみれば、

そこには誰もが感動をしないではいられない程

美しい月や星が輝いている。


 
日中の空には美しい雲、
そして夕暮れ時には、息をのむような空の色がある。
 

それらは、世界の誰もが平等に見出せる、『美しさ』。


お金を持っていようが否か、
どんな地位があろうが否か、

そんな事には全く関係なく

全ての人が平等に見つけられる『美しさ』。
 

 
それらを、

ただ堪能して、

心を震わせて、感動して、

この世界の、『美』を感じ尽す。
 

 
そんな『在り方』も、

いいのではないかと私は感じています。
 
それを感じている私という存在さえも、

実際には『無い』のだとしても。。。




 
 
綺麗事かもしれないし、
 
夢見がちなうわごとかもしれない。
 
理想主義かもしれない。




色々な考え方がる。
 
色々なスピリチュアルの道があるし、
 
色々な宗教や哲学や、生き方がある。

 
そしてそれらは、あるように見えて実際はなく、
 
あるのはただ、ひとつ。 

純粋意識。


 
そこで皆が繋がっているのなら、

考え方の違い、
宗教の違い、生き方の違いで

とがめる必要はどこにもなく、

 
皆、本当は一つなんだよね。
 
 
 
 
そして私はいつも、
 
ジョン・レノンが唄っていた

『Imagine』

を思い出すのです。

『I am not the only one』
 
きっと、私一人だけじゃない。
こう感じているのは、と。

 

 
そして、もしも心の奥底に、
 
生かされている毎日の根源に

こういう思いがあったなら、

 
そして、『現実』と呼ばれるこの世界が

幻想であるとするならば、



それを、

『愛』で溢れた幻想だと

思い込む事さえも
 
できるのではないかと思うのです。





 

 
長文になりましたが、

 
どうぞ読んでくださった皆様が、
 
そして読んでくださっていない皆様も、

 
愛と光で包まれますように、心からお祈りしています。


 

皆が愛と光の一部である事を

思い出してゆけますように・・・・。